札幌市東区の総合病院 天使病院
天使病院の100年史「診療所の開設(現在の天使病院)」

100年史

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1911年(明治44年)

診療所の開設(現在の天使病院)

野原の真ん中にできた洋館建ての病院

100_1_kinold.JPGのサムネール画像のサムネール画像さて、天使病院創設を語る上で忘れてはならない方が、ドイツ人の札幌教区長キノルド師(写真)である。

師が札幌教区長として札幌に来られたのは、明治38年のことである。当時札幌は、仙台教区内に含まれており、函館の司教がキノルド師を札幌に招請されたという。ベルリオーズ司教が、マリアの宣教者フランシスコ修道会の会長に札幌に事業所開設を依頼したものの、一時は計画が行きづまり、こうした困難な状況の中、いつもベルリオーズ師教を助け、事業所として具体的に病院計画を推し進めたのは、他ならぬキノルド師であった。師はすでに明治39年頃には病院建設の構想をもっていたようで、新しい大きな敷地に建てることを計画された。

明治44年3月末、シスター達は、最初の借家から市内北15条東1丁目の風呂屋に移り住んで間もなく、現在の東区北12粂東3丁目(当時、札幌郡札幌村大字新川添23番地)に病院建設の工事か進められたのである。シスターたちには、屋根裏に質素な部屋が作られたが、厳寒の北海道を知る人には、それが何を意味するかはわかるであろう。

明治44年9月中旬病院は完成し、アレクサンドル・ベルリオーズ司教自らその建物を祝別された。2千平方㍍の土地に木造2階建100_1_puratanasu.JPGの洋館が建ち、内科診療を主とし、病床数25床からの出発であった。 9月14日の北海タイムスには、慈恵病院開設広告と題して『今般當教會ニ於テ天使病院ヲ設立シ專ラ慈善ヲ旨トシ九月十五日ヨリ左記患者の診療ニ從事ス 天主公協會』と天使病院開設の告知広告が掲載された。これは、開設の意気込みを伝えるものであり、また、当時としては、このような告知広告は珍しく、その意味でも大変に興味深いものがある。 

明治44年といえば、札幌村の人口が約5千人、戸数は1千戸余りで、創立当時、村人たちは「異国人たちの頭は最低だ。こんな野っ原に病院を建てたって誰も来ることはあるまい」といって笑っていたそうである。

当時札幌で大きな病院といえは、札幌病院や北辰病院であったが、病室は畳敷きであり、こうした中でベッドが設備された天使病院を村人達がわらじ履きで見学に訪れたという。まさに時代の流れを感じさせる話である。そして、「尼さんが案内してくれた。今度病気になったら、あそこへ行こう」などと話し合っていたという。 しかも当時、医療施設らしい施設の無かった札幌村にあって、天使病院の誕生がどれほど村人達の心の支えになったかは測り知れないものがある。

100_1_jinrikisya.JPG創立当時の天使病院の周辺には家は皆無に等しく、病院が12条側に出来、その向いの8条側は一面のトウモロコシ畑で、病院の前にただ一筋の国道があり、道の向い側は帝国繊維の広い地所で、そこには何頭もの放牧された牛がいとものんびりと草を食べていた。また病院の正面以外には道がなく、他の三方は村人の歩く細い小路が続いていたというから、今日では想像もつかない。

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