1927年(昭和 2年)
授産所を開設
寄る辺ない貧しい人びとへ授産所の開設 予防から社会復帰まで一貫した医療活動
天使病院は、大正14年には多くの患者さんが訪れこうした人々に対して診療を行った。事業は順調に進み、天使病院はもはや、東地区の基幹病院としては勿論のこと、札幌市にとっても重要な医療機関として欠かすことの出来ない病院に成長した。
大正15年12月25日大正天皇が崩御され、今上天皇が直ちに即位されて、年号も「昭和」と改められた。そして文字通り新しい時代への幕開けとなった。しかし国内には暗い不安の影が少しずつ忍び寄る。
昭和4年に、ニューヨークの株式市場が大暴落を見せ、世界恐慌の嵐が日本にも押し寄せて来た。昭和5年、世に言われるところの昭和恐慌の嵐はここ北海道にも容赦なく吹き荒れ、経済不況により北海道の失業者は増え続けた。街には職を求める人があふれ、こうしたことも反映して、この年の労働争議は104件を数えた。
沿岸漁業を主体とする漁村でも、昭和2年を境に漁獲高減少、魚価下落と農村におとらず生活も悲惨を極めていた。各所に不幸な事態が見られ、漁農村の救済策が重要な課題となるなど、スタートしたばかりの拓殖計画も足ぶみ状態となった。
このような世相の中にあって、天使病院に課せられた使命も大きなものであった。
ただ単に病む人びとのために医療を行うというばかりでなく、いかなるときでも人間尊重を貫き予防から社会復帰に至るまでの一貫した医療活動は天使病院ならではのものであり、ますますもってその地位を揺ぎのないものとした。
不安な社会におびえる貧しい人びとのために、社会事業もより積極的に行われ、そのひとつが、昭和2年の授産事業(右と下の写真はその様子)の開始である。天使病院を訪れる患者と家族の生活状況を見るにつけ、寄る辺ない貧困者、体質虚弱者、あるいは素養の無いために失業している人びとを集め、各人の能力と才能に応じて、印刷製本、裁縫刺繍などの技術を習得させるなど、失業対策としての事業であった。
こうした事業は、ただ医療のみに終始していた当時の医療機関を超えて、医療と福祉の統合をめざすという画期的な時代を先取りしたものであった。