1972年(昭和47年)
札幌オリンピック冬期大会へ協力
札幌オリンピック冬期大会、美香保スケートリンク医療救護班として協力
昭和47年2月3日「第11回冬期オリンピック札幌大会」が、世界35カ国、選手1200名を集めて真駒内スピードスケート競技場で幕を開け、11日間にわたって多彩な技が競われた。
昭和41年のIOC総会で道民待望の札幌オリンピック開催が決定して以来、この日を目標に札幌では、市街地の整備、施設の充実を含めた公共投資が積極化した。14の競技場建設と並行し、市役所新庁舎、地下鉄南北線、地域暖房、地下街などがつぎつぎと完成し、市の中心部には高層ビルが林立し、札幌の様相は大きく変貌していった。
札幌オリンピックの成功は、改めて世界へ札幌を強烈に認識させる機会となったが、それはまた、北海道が国際交流の場へ登場する始まりでもあった。天使病院ではオリンピック開催中、美香保スケート場の医療、救護班として多数の看護婦が交代で参加し、協力した。